社交

 あらゆる社交はおのずから虚偽を必要とするものである。もし寸毫の虚偽をも加えず、我我の友人知己に対する我我の本心を吐露するとすれば、(いにし)えの管鮑(かんぽう)の交りと(いえど)破綻(はたん)を生ぜずにはいなかったであろう。管鮑の交りは少時問わず、我我は皆多少にもせよ、我我の親密なる友人知己を憎悪し或は軽蔑(けいべつ)している。が、憎悪も利害の前には鋭鋒(えいほう)を収めるのに相違ない。(かつ)又軽蔑は多々益々恬然(てんぜん)と虚偽を吐かせるものである。この故に我我の友人知己と最も親密に交る為めには、互に利害と軽蔑とを最も完全に(そな)えなければならぬ。これは勿論(もちろん)何びとにも甚だ困難なる条件である。さもなければ我我はとうの昔に礼譲に富んだ紳士になり、世界も亦とうの昔に黄金時代の平和を現出したであろう。



次(瑣事) 目次 モード変更