天才(草稿との比較)

青空文庫版草稿
 天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。

   又

 天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この千里の一歩であることに盲目である。同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚いている。

   又

 民衆も天才を認めることに吝かであるとは信じ難い。しかしその認めかたは常に頗る滑稽である。

   又

 天才の悲劇は「小ぢんまりした、居心の好い名声」を与えられることである。

   又

 耶蘇「我笛吹けども、汝等踊らず。」
 彼等「我等踊れども、汝足らわず。」

天才は羽根の生えた蜥蜴に似ている。必しも空ばかり飛ぶものではない。が、四つん這[サイト制作者注:ここで切れていることを示す鉤記号あり。]いになった時さえ、不思議に歩みの疾いものである。

(出典)(株)岩波書店発行(1997年)・芥川龍之介全集・第21巻・429頁
サイト制作者注:仮名遣いを新仮名遣いにし、一部に振り仮名を付けました。

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