近藤亀子の記録

近藤(こんどう) 亀子(かめこ)(女)
旧姓:矢野(やの)
1922年(大正11年)3月15日誕生
2010年(平成22年)7月27日没 享年88歳
 
父:箕田 文夫(みた ふみお) 
母:矢野 タカヱ
 
夫:進勇(しんゆう)
 
長男:(ひろし)
長女:石田(いしだ) 和恵(かずえ)
次男:隆志(たかし)
1922年3月15日: 門司市(後の北九州市門司区)で誕生(事情により母方祖父母の子として届出)
1927年: 庄司尋常小学校に入学
1933年: 県立門司高等女学校に入学
1938年: 同校を卒業。すぐに、近所に実家があり東京に遊学していた近藤進勇と結婚(入籍は後年)
1942〜
1956年:
夫の転勤にともなって門司市(疎開)、大阪市内津守、貝塚市、神戸市に居住
その間に3人の子供を出産・育児


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母子像
1956年: 夫の転勤にともなって、現在名古屋市に編入されている大高町に転居
以後、工場長夫人として社宅内の活動でも夫を助ける。
1960年〜: 夫をブラジル出張に送り出し、2年間大阪市・尼崎市の社宅で留守を守る。 夫の帰国後は大阪府島本町、高槻市で家族で生活
1968年: 高槻市在住中に夫が52歳で死亡
1973年〜: 一人住まいの次男・隆志と同居するために川崎市に転居
1986年には隆志とともに横浜市に転居
この間、活発に近所づきあいをし、共働きの人のお子さんを保育し、テニスやゲートボールをし、茶道を教えるという生活を送る。
特に、川崎時代の保育はママさんグループに入れていただいてご近所づきあいを大変楽しめるきっかけとなった。
2002年〜: 退職した隆志とともに高槻市に帰り、長女・石田和恵夫婦と同居
2005年〜: デイ・サービスに通うようになり、デイ・サービス・センターがある大阪府島本町に隆志とともに転居し、高槻と行き来する生活
2010年: 数日間の入院の後、敗血症による多臓器不全で死去。
文責:隆志