近藤進勇の記録

近藤(こんどう) 進勇(しんゆう)(男)
幼名:延男(のぶお) 昭和2年に進勇と改名(理由は不明)
1916年(大正5年)1月22日誕生
1968年(昭和43年)4月2日没 享年52歳
 
父:榮助(えいすけ)
母:ダイ
 
妻:亀子(かめこ)
 
長男:(ひろし)
長女:石田(いしだ) 和恵(かずえ)
次男:隆志(たかし)
1916年1月22日: 門司市(後の北九州市門司区)で誕生
1928年?: 門司中学校(モンチュウ)に入学
1933年: 岡山にある旧制第六高等学校に入学。柔道部で活躍。
後に、柔道部OB会である六華会の(物故)会員。
1936年: 蔵前高等専門学校(後の東京工業大学)に入学。ここでも柔道部で活躍。
1937年: (蔵前高専に在学中)矢野亀子と結婚
1939年: 大日本紡績株式会社(後のニチボー、ユニチカ)に入社
1945年頃: (太平洋戦争中)戦争末期に応召(柔道のおかげで途中から制裁を受けなかった)
盲腸のおかげで?出征を免れ終戦を迎えた。
1956年12月: 愛知県の大高町(後の名古屋市緑区)に工場長として赴任
1958年: 愛知県・豊橋市に工場長として赴任
1960年: ブラジルに工場建設のため出張
建設後、ニチボーブラジル工場の初代工場長


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工場全景
1962年: ブラジルから帰国。大阪府島本町に山崎工場長として赴任
1963年: 本社に転勤
1968年4月2日: 韓国・ソウルに出張中ぜんそくの発作で急死。享年52。
最終役職は本社・技術開発部長
文責:隆志