近藤ダイ(旧姓大山)と家族たち
()の中の姓の原口はゼンの結婚後の姓で、福島は梅造の養子先の姓です。
大山虎造 カヤ [不詳]
(原口)ゼン 豊太郎 近藤榮助 ダイ (福島)梅造
國政 進勇 歳助
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ダイ 1878年(明治11年)8月17日徳島県で誕生
離婚した母、姉・兄とともに門司市(後の北九州市門司区)に転居
1910年(明治43年)近藤榮助と結婚
2人の息子を育てた(三男は誕生直後に死亡)
門司市で港湾労務者請負を業としていた夫を輔け、家業を取り仕切っていたとも言われている
往来で夫の愛人を打擲したという武勇伝も伝わっている
1957年(昭和32年)12月15日没、享年79才
父・大山虎造
戸籍名は
次郎蔵
生年月日不明だが享年から逆算すると1847年(弘化年間)頃誕生
徳島県板野郡鳴門村で代々次郎右衛門の名を世襲する名家(豪農?)であったと伝わっている
戒名札に残る最も古い先祖は1769年(明和6年)没の俗名次良右衛門
虎造の代に破産し、次郎右衛門を継ぐことだけでなく戸籍名次郎蔵を使うこともはばかったらしい
1922年(大正11年)2月2日没、享年75才
母・カヤ
戸籍名は
コカヨ
旧姓、生年月日ともに不明だが享年から逆算すると1847年(弘化年間)頃誕生
虎造との結婚時期は不明
明治初期(1871−80年頃)に2男2女を産んだ後で虎造と離婚
上の3子を連れて門司市に移った
再婚したと伝わっているが、再婚相手の名前や再婚後の子供の有無は不明
1928年(昭和3年)6月3日没、享年81才
再婚先でも供養されている可能性もあるが、末子梅造の家でも「原口ゼンの母」と記した戒名札で供養している
戒名札の俗名が戸籍名と異なる理由は不明
姉・ゼン 生年月日不明だが享年から逆算すると1871年(明治4年)頃誕生
離婚した母とともに門司市に転居
原口某と結婚したが子供はなく、老後は弟・梅造の家に同居
1949年(昭和24年)12月21日没、享年78才
兄・豊太郎 生年月日不明だが享年から逆算すると1873年(明治6年)頃誕生
離婚した母とともに門司市に転居
門司市で港湾労務者請負を業としていたらしいが、2口入手した権利(株?)のひとつを弟・梅造に譲ろうとしたが断られ、見込んだ近藤榮助と妹・ダイを結婚させ譲ったと梅造の遺族に伝わっている
子供はいない
再婚相手に毒殺されたと伝わっているが未確認(当時の新聞を調べる予定)
1934(昭和9年)12月30日没、享年61歳
弟・梅造 生年月日不明だが享年から逆算すると1880年(明治13年)頃誕生
母が離婚して姉2人と兄とともに門司市に移った時に父の元に残った
経済的に不遇で、丁稚奉公に出されたと伝わっている
後に福島家に婿養子に入って製塩業を営み、妻クニヱとの間に3人の娘が生まれた
妻が大正5年に34才で若死にした後再婚したが後妻との間に子はない
1960年(昭和35年)3月4日没、享年80才
夫・榮助 別ページ参照
長男・國政
次男・進勇 別ページ参照
三男・歳助 別ページ参照<
文責:隆志(次男・進勇の次男)
敬称はすべて略させていただいています。親戚の皆さんお許しください。