近藤榮助と家族たち
()の中の姓は近藤家にいた人の結婚後の姓または旧姓です。
アキ 政吉 きぬ
國助 シナ (鈴木)タメ 榮助 (大山)ダイ (塔野)キク (俗名不詳)
國政 進勇 歳助
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榮助 1877年(明治10年)12月26日愛媛県で誕生
時期は不明だが門司市(後の北九州市門司区)に転居
1910年(明治43年)大山ダイと結婚
1921年(大正10年)戸籍筆頭の兄一家とともに門司市に転籍
門司市で港湾労務者請負を業としていた
1950年(昭和25年)9月1日没、享年72才
父・政吉 生年月日不明だが享年から逆算すると1845年(弘化年間)頃誕生
愛媛県温泉郡で代々庄屋を務めていた旧い家柄であったと伝わっている
過去帳で分かる最も古い先祖は1717年(享保2年)没の俗名市左衛門
父(名前不詳)も貿易船や旅館を持ち裕福だったが、政吉の代に破産し、息子2人が門司で生活するようになったらしい
1911年(明治44年)1月18日没、享年66才
母・アキ 旧姓、生年月日ともに不明だが享年から逆算すると1846年(弘化年間)頃誕生
(名前も「小アキ」または「小秋」という記録もある)
政吉との結婚は元治年間(1864-65)頃と伝わっている
子供は3男2女との話があるが戸籍や過去帳によると2男4女
1890年(明治23年)旧4月11日没、享年44才
継母・きぬ 旧姓、生年月日ともに不明だが享年から逆算すると1873年(明治6年)頃誕生
子供についての記録はない
1895年(明治28年)旧7月26日没、享年22才
兄・國助 1866年(慶応2年)5月7日愛媛県で誕生
時期は不明だが門司市(後の北九州市門司区)に転居
1921年(大正10年)門司市に転籍
門司市で鶏卵販売を業としていた
1942(昭和17年)2月27日没、享年77歳
長姉・シナ 生年月日不明だが享年から逆算すると1867年(慶応年間)頃誕生
父の菩提寺に葬られているが、嫁がなかったのか出戻ったのか不明
1905年(明治38年)5月20日没、享年38才
次姉・タメ 1872年(明治5年)4月23日誕生
鈴木五郎と結婚したが間もなく死別(離別という話もある)
以後、弟・榮助、甥・國政、妹・キクの家に同居
1951年(昭和26年)6月28日没、享年79才
次妹・キク 生年月日不明
山口県宇部市の塔野代二郎と結婚し4男1女を育てた
死亡年月日不明だが、80才以上の長寿を全うしたと伝わっている
末妹・俗名不詳 生年月日不明だが童女として葬られているので1890年(明治23年)かその少し前の誕生と思われる
1890年(明治23年)旧10月4日没
妻・ダイ 別ページ参照
長男・國政 1909年(明治42年)10月20日誕生
1941年(昭和16年)5月28日森田正子と結婚、1男3女を育てる
1978年(昭和53年)8月3日没、享年68才
次男・進勇 別ページ参照
三男・歳助 1930年(昭和5年)12月23日誕生
同年同月26日死亡、(死亡翌日に誕生・死亡を届出)
年表
1877年
榮助誕生
1890年
母アキ死亡
1895年
継母きぬ死亡
1905年
長姉シナ死亡
1907年
兄國助の長女誕生
愛媛県で出生届出
國助と榮助は この間に 愛媛県から門司市に 転居したと思われる
1910年
榮助・ダイ結婚
門司市で婚姻届出
1911年
父政吉死亡
1942年
兄國助死亡
1950年
榮助死亡
文責:隆志(次男・進勇の次男)
敬称はすべて略させていただいています。親戚の皆さんお許しください。